HANAMOGERA’s blog

乳がんと私

傷が癒えない

はてさて、治療も次のステップへ進みます。

 

本来は放射線治療抗がん剤治療、と進みます。

が!なかなか進めなかったのです。私の左胸、辻斬りにあったような傷が癒えない。放射線治療を行う前に傷が塞がってないといけないのですが一部なかなか塞がらないというか傷が落ち着かなかったのです。いつまでも傷がジュクジュクとなんとなく体液が出るというか、転んだ傷がなかなかかさぶたにならないような感じ。

結局、教授先生が「こりゃもう一度縫った方が早いね」と、再度10cmくらいある傷の上2cmくらいを縫い直すことになりました。

私が思うに、執刀医はもちろん教授先生だったのですが、腫瘍を採って、センチネルリンパ生検をやって、最後の縫合だけは、あの私と処置の相性の悪い若い先生がやったんですよ。

悪い人じゃなかったけど、ホント私にとっては腕の悪い奴でした。最初の生検、術後の水抜き、縫合、全てにおいて失敗してやがる・・・

その後、いつの間にか異動して居なくなっちゃいました。

 

こうして私の辻斬りの傷は教授先生の縫合後は、あっという間に癒えたのでした。

次回、やっと次のステップへ進みます。

会社をクビになった話

はてさて、乳がん発覚から手術を経て、第一段階終了、という感じでした。
その後2週間程度会社をお休みして復帰しました。
手術が6月後半だったと記憶しているので、まともに会社に戻ったのは7月の途中くらいだったのかな。(もう覚えてない)
その後、通院して水を抜きつつ傷の様子を見てたかなぁ。傷が癒えたら、放射線治療抗がん剤治療に進む予定でいました。
で、何月だったか覚えていませんが、職場で1通のメールを受け取ったのです。
正確な内容は覚えていませんが「面談を行いたいので本社へ来られよ。他言無用」みたいな。
それだけでピンと来ました。
私は一応誰もが知ってるような大手メーカーの正社員でした。2度の産休、育休はありましたが入社して16年勤務してたんですけど、いわゆる「リストラ」ですね。
丁度会社が結構厳しい局面に直面していた時期だったのだと思いますが、「退職金上乗せの早期退職者」を募っていました。まさか自分に白羽の矢が立てられるとは‥
私、結構職場から遠くに住んでおり、通勤も1時間半。本社に行くにも1時間半、どこへ行くにも遠いって感じでした。遠い上に行き慣れない本社への呼び出しは術後の体力的にも精神的にも結構しんどかった。面談に行くと、偉いさんが「乳がんですか。大変でしたね。私の妻も・・・」みたいな話を和やかにしつつも最終的には「どうですか?早期退職しませんか?」ってな話でした。
「してください」というお願いの方もいらっしゃるそうで、私の場合はそうではなく「NO」もアリだと言われました。
私は今後の治療の予定もまだ立っていない状態なので、少し考えさせて欲しいとお願いし、その日を終えました。
直属のお局様上司はメチャメチャ怒っていました。病気になった途端切るとは何ごとか!と。
私もそう思いましたが、よくよく考えるとナイス人選かな、と。
家族がいて大黒柱として働いている人にリストラはキツいけど、私は結婚していて働いている旦那が居る。会社に大きな利益をもたらしたこともないし、私が居ても居なくても会社は困らない。
病気になっちゃったし、治療にお金もかかるだろうし、こいつ丁度いいって感じ。
同じ部署でお子さんの居ないちょっと年上の結婚している女性の先輩も同じく肩たたきにあっておられました。役職もないような私たちなんてそんな扱いなんだな・・・
私はこれから始まる抗がん剤治療にかなりビビっていて、髪が無くなって丸坊主になった時にカツラで出勤を続けるのか、休職するのか、この状態で通勤片道1時間半を続けられるのか?と悩んでいることもあって、結局そのままクビを受け入れることにしました。
返事を渋る場合、何度も何度も面談と称して本社に呼ばれるのです。ぶっちゃけ、本社への呼び出しが面倒くさかった、ってのも大きいです。そうやって何度も何度も呼び出されメンタルを追い詰められて辞めさせられる、という方も居ましたし、揉めて裁判だなんだと騒いでいる方も居たようです。
私は1回の面談だけで面倒くさくなって辞めてしまいました。
結局私は6月に手術をして9月末には退職する、という想像もしていなかった運命をスピーディに受け入れる羽目になったのでした・・・

胸に溜まった水

退院後の生活ですが、確かシャワーも浴びてたし、患部は相変わらず麻痺していたので特にどこかが痛いとかいう感覚はなく生活したように思います。痛かったのは水。胸に水が溜まるととても痛いのです。母乳が張って痛いという経験もありましたが、自分で抜くことが出来ないのでドンドン痛くなる。熱を持つ。

一度、土曜日だったか日曜日だったかにどうにもならずに病院に電話をしました。例の私と処置の相性の悪い担当医が救急外来みたいなところで対応してくれたのですが、こいつ、マジで処置相性が悪く、ごっつい注射器を持ってきてブスブスとあっちこっちに刺すのですが一滴も抜けないの。

エコー取り付けてそれで水が溜まってる箇所に的確に注射を打ってるらしいけど全く抜けず。

どうやっても抜けなくて、結局帰されたのです。翌日月曜日にもう一人の担当医の偉いさんに再度対応して頂き「なんで採れなかったんだろうね?こんなに採れたよ」と、50ccだか100ccだか200ccだか忘れましたが、スイィ~と抜いてくださったのでした。

水抜きに通うのが結構大変だったかな。病院は我が家から車で40分くらいかかったので。

入院生活~その4~

さて、ここからは退院までのお話。

手術後、2日で退院でした。イマドキの入院ってこんなに短いの?と本気で驚きました。

術後、翌日の夜だったかな。ちょっと勢いよくベッドにゴロンと寝ころんだ瞬間「ポチャッ」と音がしたのです。

え?私はベッドのいろんな場所を押したりゆすったりしました。「え?このベッド、ウォーターベッドだったの?」←そんなはずない

その時は本当に真剣にウォーターベッドだったのかと色々試しましたが、その後 水の音はせず。

でもまたゴロンと寝ころぶと「ポチャッ」というのです。

「え?私の体から聞こえる?」と気が付いた私。看護師さんに「『ポチャッ』と音が聞こえるんです。私の中から。なんでしょう?」と聞いたところ、看護師さんが驚いて「ちょっと失礼しますね」と私の手術後の温存された3/4の乳を下から弾ませて揺する。耳をくっつけながら揺する。

なんじゃ、この絵は・・・

でもうまいこと「ポチャッ」という音は聞こえず「なんでしょうね?先生に聞いておきますね」と言われ、不安に思った私です。

翌日、同じ日に手術したと思われる人と順番に診察室へ呼ばれました。退院前検診的な。

「摘出した部分は穴が開いている状態だから、そこに体液が溜まります。溜まると痛いので抜きますね。」と注射で吸い出されることに。

「え?それって誰しもが?私だけ?」と聞くと「それが当たり前ですよ。徐々に血となり肉となり穴が塞がっていくので、最初のうちは暫く抜きますよ」と。

そんな当たり前のことなら看護師も知っててくれよ、と思いました。

しかも様子を見て「はい、じゃあ明日退院です」と言われ驚愕!え?もう退院?!

あとは通院で良いそうです。何かあれば電話ちょうだい、くらいな。

えーーーー!もう帰るの?

正直ガッカリしたのを覚えています。おかしいでしょ?普通早く帰りたいよね。

でもね、入院生活がとてつもなく快適だったのです。温度調整された部屋。暑くも寒くもない。ご飯は作らなくても3食運ばれてくる。

出産の時は「病気じゃないんだから」と食事は自分で取りに行ったり戻したりでした。

だから運ばれてきて、片付けてくれる。寝てるだけ。テレビみるだけ。持参したDSでとび森やるだけ、のこの生活が、たったの2日で終わってしまうなんてぇ~!とショックを受けたのでした。1週間は続くと思っていたのに・・・現代医学の進歩に脱帽でした。

私が入院していた病棟は、子供の出入りが出来なかったように記憶しています。だから旦那が1度来た以外は特に見舞いもなく。

でもイマドキ携帯でメールも電話も出来たので、寂しくもないし、とにかく快適だったのです。

私の母は同病院に長く入院していたのですが、20年も経つと食事も全然違っていて、朝のパンも温かかったしご飯も美味しかった。本当に驚きました。

快適に感じるくらい元気だったということで、退院させられるのはどう考えても適正ですよね。ははは・・・

入院生活~その3~

手術後の私。確か部屋は6人部屋の大部屋で満員ではなかったけど、4人くらいになっていたと思います。トイレも部屋に設置。

ただ、手術後は管が付いていたのでトイレに行きたくなることはなかったけど、どギツイストッキングというかタイツみたいのを履かされていて(エコノミー症候群予防?)それが圧がすごくてきつかった。看護士さんが「どうですか?」としょっちゅう回って来る。夜中も寝ていると看護士さんが懐中電灯でやってくるのでそのたびに起きてしまう私でした。「タイツ脱ぎたい」と言いましたが「明日の朝まで我慢してください」と言われました。

この太い脚にどうやって履かせたのか、考えるだけで申し訳ないのでそこは言うこと聞きます。

翌朝、おしっこの管は外されたように記憶しています。タイツも脱いで開放されました。

手術後は麻痺していて感覚がなく、痛いこともないけど自分の肌ではないような無感覚状態でした。

その日からは元気というか普通でした。トイレも自力で行ったし、普通に動いてました。点滴だけゴロゴロ連れて歩いてたかな?それもなかったかな?忘れちゃった・・

ついに手術

さて、ついに手術の日がやってきました。
これまたあんまり覚えていないのですが、旦那がきて、ドラマみたいにベッドごとゴロゴロ手術室まで行って手術室の前で「じゃ!」みたいな感じで別れたのを覚えています。
頭に不織布シャワーキャップみたいのを被せられて「ププッ」って感じで。
扉の向こうはすぐに手術室ではなく、一見給食室みたいだった。ステンレスの台が沢山あるような感じだった。
奥にいくつかお部屋が分かれていて、それぞれが手術室だったんだと思う。
私は自力で歩いて手術台へ座った。ベッドではなく、座ったと記憶してます。
なんか歯医者の椅子みたいな感じで、左腕を上げて。ベッド椅子みたいな感じだったのかなぁ。
で、麻酔をしてから人工呼吸器を装着しますが、外すときは私をポンポンと叩いて目を覚まさせてから抜きます、と説明を受けました。目が覚めなかったら外せないから、と。
「じゃあ、オエッてなりますね」と私が言うと「そんなハッキリ起きる人居ないよ。薄ら朦朧と目を覚ましてまた寝ちゃう感じだから大丈夫」と言われ、ホッとしたところで手術前の記憶は終了。
手術は、まず腫瘍を摘出。その後、リンパを1個だか2個だか採って検査してガンが無ければ、転移なしってことですぐに手術終了。難しい正しい用語は忘れちゃったので、簡単に言うと、事前に色のついた薬剤を体に注入しまして、それがリンパに到達するんだけど到達する順番があるので、一番に到達している1つ2つの最小数のリンパを検査することでガンが無ければ、後から色素が到達するリンパには当然ガンはない、という結果になるそうな。
詳しくはセンチネルリンパ節生検ってのを検索してみてくださいな。
で、薄ら夢見心地でいた私、なぜかわからないけどいきなりクワッと起きたのです。目が覚めたの。
看護師さんが「あ、起きた」と驚いてました。私、起こされる前に起きたの。
で、先生に「無事に終わりましたよ。リンパも転移なし。大丈夫だよ。」と仰って頂き安心したのでした。意識朦朧でぼんやり起きたのではなく、ガッツリ目を覚ました私。
当然、呼吸器を外すときにはオエッとなって、「嘘つき〜」と思ったのでした。
「じゃ、お部屋に戻りますよ〜」と看護師さんに言われた私。
太っている人あるあるなんだと思うのですが、人様に迷惑をかけられないという意識が強く、部屋に戻りますよと声をかけられ「あ、はい」と手術ベッドから自力で降りようとして「何やってるんですか!動いちゃダメです!」と怒られて、あ、色々管付いてたや、とビビる私。要するにメチャ元気でした。
で、ドラマのように手術台から簡易ベッドへ移されカラカラとステンレスの台の所へ。そこからステンレスのカウンター台のような所の向こう側に入院ベッドが用意されておりそのままシーツを引っ張って、簡易ベッドからステンレスのカウンター台を滑って入院ベッドへ無事収まる、という仕組み。
それがまた冷凍されたマグロがステンレス台を滑って行く様子が頭に浮かび、笑ってしまった私に看護師さんはビックリして「どうしましたか?大丈夫ですか?!」と焦っておられました。
いきなり笑い出したから頭やられたと思われたのかなぁ?
そして手術室の扉が開いたと思ったら、そこには旦那が。
「え、どうしたの?いたの?仕事に行ったのかと思ってた」という私に「そんなわけないでしょ!」とちょっと怒られました。
手術って何かあった場合に同意書とか書いてもらわなきゃいけないから誰か居ないとダメなのね。知らなかったわ。言われてみれば、そりゃそうか。
こうして私の緊張感のない面白手術が幕を閉じたのであった。