傷が癒えない
はてさて、治療も次のステップへ進みます。
が!なかなか進めなかったのです。私の左胸、辻斬りにあったような傷が癒えない。放射線治療を行う前に傷が塞がってないといけないのですが一部なかなか塞がらないというか傷が落ち着かなかったのです。いつまでも傷がジュクジュクとなんとなく体液が出るというか、転んだ傷がなかなかかさぶたにならないような感じ。
結局、教授先生が「こりゃもう一度縫った方が早いね」と、再度10cmくらいある傷の上2cmくらいを縫い直すことになりました。
私が思うに、執刀医はもちろん教授先生だったのですが、腫瘍を採って、センチネルリンパ生検をやって、最後の縫合だけは、あの私と処置の相性の悪い若い先生がやったんですよ。
悪い人じゃなかったけど、ホント私にとっては腕の悪い奴でした。最初の生検、術後の水抜き、縫合、全てにおいて失敗してやがる・・・
その後、いつの間にか異動して居なくなっちゃいました。
こうして私の辻斬りの傷は教授先生の縫合後は、あっという間に癒えたのでした。
次回、やっと次のステップへ進みます。
blogをお引越ししました
前のブログが閉鎖するようなので、お引越ししてみました。
なかなか更新出来ず滞っていたのですが、これを機にまた更新していこうかと思います。
まだ何がなにやらよくわからずにやっておりますが、どうぞよろしくお願いします!
会社をクビになった話
胸に溜まった水
退院後の生活ですが、確かシャワーも浴びてたし、患部は相変わらず麻痺していたので特にどこかが痛いとかいう感覚はなく生活したように思います。痛かったのは水。胸に水が溜まるととても痛いのです。母乳が張って痛いという経験もありましたが、自分で抜くことが出来ないのでドンドン痛くなる。熱を持つ。
一度、土曜日だったか日曜日だったかにどうにもならずに病院に電話をしました。例の私と処置の相性の悪い担当医が救急外来みたいなところで対応してくれたのですが、こいつ、マジで処置相性が悪く、ごっつい注射器を持ってきてブスブスとあっちこっちに刺すのですが一滴も抜けないの。
エコー取り付けてそれで水が溜まってる箇所に的確に注射を打ってるらしいけど全く抜けず。
どうやっても抜けなくて、結局帰されたのです。翌日月曜日にもう一人の担当医の偉いさんに再度対応して頂き「なんで採れなかったんだろうね?こんなに採れたよ」と、50ccだか100ccだか200ccだか忘れましたが、スイィ~と抜いてくださったのでした。
水抜きに通うのが結構大変だったかな。病院は我が家から車で40分くらいかかったので。
入院生活~その4~
さて、ここからは退院までのお話。
手術後、2日で退院でした。イマドキの入院ってこんなに短いの?と本気で驚きました。
術後、翌日の夜だったかな。ちょっと勢いよくベッドにゴロンと寝ころんだ瞬間「ポチャッ」と音がしたのです。
え?私はベッドのいろんな場所を押したりゆすったりしました。「え?このベッド、ウォーターベッドだったの?」←そんなはずない
その時は本当に真剣にウォーターベッドだったのかと色々試しましたが、その後 水の音はせず。
でもまたゴロンと寝ころぶと「ポチャッ」というのです。
「え?私の体から聞こえる?」と気が付いた私。看護師さんに「『ポチャッ』と音が聞こえるんです。私の中から。なんでしょう?」と聞いたところ、看護師さんが驚いて「ちょっと失礼しますね」と私の手術後の温存された3/4の乳を下から弾ませて揺する。耳をくっつけながら揺する。
なんじゃ、この絵は・・・
でもうまいこと「ポチャッ」という音は聞こえず「なんでしょうね?先生に聞いておきますね」と言われ、不安に思った私です。
翌日、同じ日に手術したと思われる人と順番に診察室へ呼ばれました。退院前検診的な。
「摘出した部分は穴が開いている状態だから、そこに体液が溜まります。溜まると痛いので抜きますね。」と注射で吸い出されることに。
「え?それって誰しもが?私だけ?」と聞くと「それが当たり前ですよ。徐々に血となり肉となり穴が塞がっていくので、最初のうちは暫く抜きますよ」と。
そんな当たり前のことなら看護師も知っててくれよ、と思いました。
しかも様子を見て「はい、じゃあ明日退院です」と言われ驚愕!え?もう退院?!
あとは通院で良いそうです。何かあれば電話ちょうだい、くらいな。
えーーーー!もう帰るの?
正直ガッカリしたのを覚えています。おかしいでしょ?普通早く帰りたいよね。
でもね、入院生活がとてつもなく快適だったのです。温度調整された部屋。暑くも寒くもない。ご飯は作らなくても3食運ばれてくる。
出産の時は「病気じゃないんだから」と食事は自分で取りに行ったり戻したりでした。
だから運ばれてきて、片付けてくれる。寝てるだけ。テレビみるだけ。持参したDSでとび森やるだけ、のこの生活が、たったの2日で終わってしまうなんてぇ~!とショックを受けたのでした。1週間は続くと思っていたのに・・・現代医学の進歩に脱帽でした。
私が入院していた病棟は、子供の出入りが出来なかったように記憶しています。だから旦那が1度来た以外は特に見舞いもなく。
でもイマドキ携帯でメールも電話も出来たので、寂しくもないし、とにかく快適だったのです。
私の母は同病院に長く入院していたのですが、20年も経つと食事も全然違っていて、朝のパンも温かかったしご飯も美味しかった。本当に驚きました。
快適に感じるくらい元気だったということで、退院させられるのはどう考えても適正ですよね。ははは・・・
入院生活~その3~
手術後の私。確か部屋は6人部屋の大部屋で満員ではなかったけど、4人くらいになっていたと思います。トイレも部屋に設置。
ただ、手術後は管が付いていたのでトイレに行きたくなることはなかったけど、どギツイストッキングというかタイツみたいのを履かされていて(エコノミー症候群予防?)それが圧がすごくてきつかった。看護士さんが「どうですか?」としょっちゅう回って来る。夜中も寝ていると看護士さんが懐中電灯でやってくるのでそのたびに起きてしまう私でした。「タイツ脱ぎたい」と言いましたが「明日の朝まで我慢してください」と言われました。
この太い脚にどうやって履かせたのか、考えるだけで申し訳ないのでそこは言うこと聞きます。
翌朝、おしっこの管は外されたように記憶しています。タイツも脱いで開放されました。
手術後は麻痺していて感覚がなく、痛いこともないけど自分の肌ではないような無感覚状態でした。
その日からは元気というか普通でした。トイレも自力で行ったし、普通に動いてました。点滴だけゴロゴロ連れて歩いてたかな?それもなかったかな?忘れちゃった・・